日本の近代建築の父と言われ、東京駅をつくった男として有名な建築家がいます。
辰野金吾(たつの・きんご)。
彼が手掛けた20以上の建築物は全国に点在し、100年以上の時を越え、いまなお、その堂々たる風格を見せてくれます。
日本初の石造建築として知られる、日本銀行本店本館。
和風建築の最高傑作、天見温泉の南天苑。
アインシュタインも講演を行った、大阪中央公会堂。
さらに、先月はこんなニュースで報じられました。
「辰野金吾のふるさと、佐賀県唐津市『旧唐津小学校』の校舎の礎石群が、唐津市役所で出土した」
辰野は、唐津を愛し、自らすすんで小学校の設計を引き受けたのです。
さらに、唐津の子どもたちのために奨学金を設定。
地域の発展のために尽くしました。
彼の建築技術は、頑丈で耐震性に優れ、「辰野堅固」と称され、彼が造った多くの建築物が現存する理由でもあります。
まだ建築家という職業がなかった時代に、近代建築の礎を築いたレジェンドですが、彼の残した金言には、謙虚なものばかりが並んでいます。
たとえば、「俺は頭が良くない。だから人が一する時は二倍努力してきた」という言葉。
辰野は、工部大学校、現在の東京大学工学部を首席で卒業して、国からヨーロッパへの留学を命じられても、「ほんとうに俺なんかでいいんだろうか、とにかく努力して、期待に答えるしかない」と考え、がむしゃらに建築に打ち込みました。
彼は、「うぬぼれる」というのを最も嫌悪しました。
英語が誰よりもうまいのに、さらにイギリス人について学ぶ。
建築に関しては、自分への追込み方が尋常ではありませんでした。
そこには、彼が味わった挫折の経験があったのです。
日本で最初の「建築家」のひとり、辰野金吾が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?