今年、生誕100年を迎える、伝説の大女優がいます。
高峰秀子(たかみね・ひでこ)。
1924年3月27日生まれの彼女の「高峰秀子生誕100年プロジェクト」は、昨年10月から始まり、今年もさまざまな企画が目白押しです。
彼女が愛した「きもの展」、エッセイでも綴られた、美学をひもとく展示や写真展。
もちろん、出演した映画の上映会も多数予定されています。
戦前の無声映画の時代、5歳で銀幕デビューを果たしてから、およそ50年間、300本以上の作品に出た高峰は、今も多くのファンを魅了してやみません。
また、エッセイストとして、多くの本を執筆。
軽妙で含羞と含蓄があふれる筆運びは、時代に色あせることなく、健在です。
4歳のとき、結核で母を亡くし、父の妹に養子に出された高峰。
5歳で、いきなり映画の世界に放り込まれ、以来、自分が役者としての素養があるやなしやの自省するいとまもなく、ひたすら走り続けてきたのです。
5歳のとき、いきなり参加した映画のオーディションに合格。
お金を出してでも我が子を映画に出したいというお金持ちが多い中、高峰の出演作は絶えません。
男の子の役までも、頭を丸刈りにされて依頼がきてしまう。
養母は、まわりからずいぶん嫌味を言われ、いじめられたといいます。
子役の役者に多額の出演料がもらえることはなく、暮らしは、貧しく、質素。
養父は全国を飛び歩く興行師、養母は内職をしていました。
そんな中、京都の賀茂川のほとりから撮影所に通うのは楽しかったと、エッセイに書いています。
撮影所では、駄々をこね、お菓子をもらったり、多くの大人たちと遊び、誰にでも可愛がられました。
ほとんど学校にも行けず、眠い目をこすりながら撮影所に通う日々。
そんな幼い高峰の心には、自分を育ててくれている母に、何か役に立つことをしたいという思いが、ささやかに、でも確実に芽生えていったのです。
戦前戦後を駆け抜けたレジェンド・高峰秀子が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?