印象派、象徴派と言われ、独自の世界観を切り開いた、フランスの作曲家がいます。
クロード・ドビュッシー。
今年3月に亡くなった坂本龍一は、ドビュッシーを敬愛していたことで知られています。
新潮文庫の自伝『音楽は自由にする』では、中学2年生のときに、初めて弦楽四重奏曲を聴いたときの衝撃が綴られています。
自分自身をドビュッシーの生まれ変わりではないかと考えたことがあったと語り、その傾倒ぶりがうかがえます。
毎年行われるクラシックコンサートで、必ずといっていいほど、全国のどこかで演奏される、ドビュッシー。
彼の音楽の何が、ひとびとを魅了するのでしょうか。
ドビュッシーは、こんな言葉を残しています。
「私は、スペシャリストになりたくない。
自分を専門化するなんてバカげている。
自分を専門化してしまったら、それだけ、自分の宇宙を狭くしてしまうんだ。
みんなどうしてそのことに気がつかないんだろうか」
ドビュッシーは、自分を枠にあてはめられることを嫌がりました。
伝統的な奏法を無視したことで、彼が発表する曲の評価は、安定しませんでした。
高評価があるかと思えば、演奏中に観客が帰ってしまうほどの不評もあり、社会的な成功は、なかなか得られません。
内向的で頑固な気質と、女性にのめりこむ性格。
音楽院の教師や音楽出版の編集者など、周囲のひとたちは、扱いづらい芸術家に、手を焼いていました。
それでも、ドビュッシーは、前に進むことをやめません。
ガムランの響きに感動し、絵画や文学にインスパイアされ、唯一無二の音楽世界を求めたのです。
その結果、昨年生誕160年を迎えた彼の音楽は、後世に多大な影響を与え、ガーシュウィン、デューク・エリントン、マイルス・デイビスなど、ジャズ界においても、彼の格闘の歴史は引き継がれていったのです。
創っては壊し、壊しては創ることをやめなかった賢人、クロード・ドビュッシーが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?