第434話『ぶれない軸を持つ』-【音楽家のレジェンド篇】セルゲイ・ラフマニノフ-
DEC 23, 2023
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ロマン派音楽を大きく飛躍、大成した、ロシアの音楽家がいます。

セルゲイ・ラフマニノフ。

ラフマニノフと言えば、2014年のソチ・オリンピックで、浅田真央のフリー演技で流れた楽曲『ピアノ協奏曲第2番』を思い出すひとがいるかもしれません。

前回大会のバンクーバーで、オリンピック史上女子初となる、3回転アクセルを成功させ、堂々の銀メダル。

今大会こそは金メダルだと、日本の期待を一身に背負ったオリンピックでした。

しかし、ショートは、まさかの16位。

失意の中、フリーでどんな演技を見せるのか。

ほぼノーミスの圧巻の演技は、ラフマニノフと共にありました。

今年生誕150年を迎えるロシアのレジェンドは、生前、非難にさらされることの多い作曲家でした。

天才の呼び声が高かったラフマニノフは、22歳のときに、自分の人生を賭けた大作に挑みます。

『交響曲第1番 二短調』。

2年後の24歳のとき、ペテルブルクで初演されますが、これが、記録的な大失敗に終わったのです。

奇しくも、浅田真央がソチ・オリンピックに出場したのが、24歳のときでした。

ラフマニノフが魂を込めて作った曲は、批評家から酷評され、コンサート会場では、途中で席を立つ者までいました。

一説には、指揮をしたグラズノフの失態が原因と言われていますが、全ての非難の矛先は、作曲者に向かいます。

この『交響曲第1番』は、ラフマニノフが生きている間は、二度と演奏されませんでした。

この失敗で彼は、神経衰弱に陥り、作曲ができなくなってしまいます。

ピアノに向かうと、手がふるえ、譜面を見ると、吐いてしまう。

そんな彼を必死に励ましたのが、16歳年上のロシアの文豪、アントン・チェーホフでした。

チェーホフは、手紙に書きました。

「言いたいやつには、言わせておけばいい。

私が書いた『かもめ』も初演はさんざんなものだった。

でも、2年後は大絶賛。

わからんもんだよ 世間なんて。全ての軸は自分の中に持てばいい」

挫折を繰り返しながら名曲を世に送り出したレジェンド、セルゲイ・ラフマニノフが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
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