

「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、シッティングバレーボール・波田(はた)みか選手です。 2001年生まれ、埼玉県出身の22歳。小学1年生からバレーボールを始めますが、6年生のときに骨肉腫を発症。右足に人工関節を入れる手術を受けました。2015年から、床に座ってプレーするシッティングバレーボールを始め、中学生のときに早くも女子日本代表入り。チーム最年少ながらセッターとして代表チームを引っ張っていましたが、2021年、水頭症・脳腫瘍を発症して東京パラリンピック出場は断念。ボランティアとして代表チームを支えました。現在は再び女子日本代表に復帰。今年のパリ大会で、初のパラリンピック出場を目指します。シッティングバレーとの出逢い、セッターの役割と面白さについて、最年少で代表入りしたとき、年上ばかりのチームムメイトとどうコミュニケーションをとったのか、東京パラリンピック直前での水頭症・脳腫瘍発症と闘病生活の支えになったもの、東京パラリンピックにボランティアとして参加しようと思った理由、いよいよ来月、中国で行われるパリパラリンピック世界最終予選への抱負など、波田選手にいろいろお話を伺いました。 See omnystudio.com/listener https://omnystudio.com/listener for privacy information.


「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、シッティングバレーボール日本代表・佐々木一成(ささき・かずなり)選手です。 1985年生まれ、福岡県出身の38歳。生まれつき両足と右手が不自由で、普段は義足をはいて生活しています。2013年、床に座ってプレーする「シッティングバレーボール」に出逢い都内のチーム・台東スマイルでプレー。2014年、初めて日本代表に選ばれ、2021年の東京パラリンピックにも出場しました。アスリート活動と並行して、ギークス株式会社で広報・サスティナビリティ推進部部長としてさまざまな発信を行っているほか、生きづらさをテーマにしたWEBメディア「プラス・ハンディキャップ」も運営するなど幅広く活躍しています。シッティングバレーとの出逢い、小柄な体格のハンディをどうカバーしているのか、一時代表落選を経験しながら再び返り咲いた原動力、東京パラリンピックでの激闘とその裏側、会社業務との「二刀流」を続けている理由、昨年エジプトで開催された初のワールドカップでの戦いと、いよいよ来月行われるパリパラリンピック世界最終予選への抱負など、佐々木選手にいろいろお話を伺いました。 See omnystudio.com/listener https://omnystudio.com/listener for privacy information.


「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パラ射撃・岡田和也(おかだ・かずや)選手です。 1969年生まれ、三重県鈴鹿市出身の54歳。つなひろワールド所属。2006年、仕事中の事故で左腕の上腕部から先を失いますが、趣味のゴルフを右腕だけで続け、その後、障がい者ゴルフの国際大会に出場。これをきっかけに、東京パラリンピック出場を目指して2016年から本格的にパラ射撃を始めました。2017年から強化指定選手に選ばれ、国内外の大会で活躍。去年の10月に中国・杭州で行われたアジアパラ競技大会で、日本のパリパラリンピック出場枠を獲得。自身の初出場に大きく前進しました。射撃を始めた理由、右腕だけでどうやって銃を支えて撃っているのか、射撃用の特殊な義手の話、障がいが重いSH2クラスから障がいが軽い選手と同じSH1クラスに移った理由、コロナ禍の影響もあって出場が叶わなかった東京パラリンピックと、パリに向けての思い、杭州アジアパラ競技大会でコーチがかけてくれた一言など、岡田選手にいろいろお話を伺いました。 See omnystudio.com/listener https://omnystudio.com/listener for privacy information.


「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、元パラアイスホッケー日本代表で、パラスポーツチャレンジャーの永瀬充(ながせ・みつる)さんです。 1976年生まれ、北海道出身の48歳。高校1年生のとき、神経の難病を発症してヒザから下がまひ。歩行が困難になりました。1995年、19歳のときに、脚に障がいを持った選手がそりに乗ってプレーするパラアイスホッケーを始め、ゴールキーパーとしてプレー。日本代表の守護神として活躍しました。パラリンピックには、1998年の長野大会から4大会連続で出場。2010年のバンクーバーパラリンピックでは準決勝で強豪・カナダを破る大金星を挙げ、銀メダルを獲得しました。また「パラスポーツチャレンジャー」として、現在も様々な競技に挑戦。パラスポーツの普及にも取り組んでいます。パラアイスホッケーとの出逢い、まさに“1期生”としてプレーした創生期の日本代表について、初めて出場した長野パラリンピックと、強豪・カナダを下し銀メダルに輝いたバンクーバーパラリンピックでの激闘について、パラスポーツ普及に必要なこと、「パラスポーツチャレンジャー」として挑戦している競技など、永瀬さんにいろいろお話を伺いました。 See omnystudio.com/listener https://omnystudio.com/listener for privacy information.


「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パラ卓球・八木克勝(やぎ・かつよし)選手です。 1990年生まれ、愛知県豊橋市出身の33歳。生まれつき両腕に障がいがあり、ヒジから先が短いため、手を伸ばせません。中学1年生から卓球を始め、鍛え上げられた足腰を生かした豊富な運動量を武器に国内外の大会で活躍。立ってプレーするクラスで2番目に障がいが重い「クラス7」で戦い、2021年、東京パラリンピックにも出場しました。去年、中国の杭州で行われたアジアパラ競技大会・男子シングルスで、東京パラリンピックの金メダリストを破るなどの活躍を見せ優勝。パリパラリンピック出場内定を勝ち取りました。卓球との出逢い、手を伸ばせない状態でどうやってプレーしているのか、それをカバーするためのフットワークの鍛え方、古武術をトレーニングに取り入れている理由、憧れの舞台・東京パラリンピックでの戦いについて、大会後競技をやめようか迷った末にパリを目指すことにした理由、パリに向けての抱負など、八木選手にいろいろお話を伺いました。 See omnystudio.com/listener https://omnystudio.com/listener for privacy information.


「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、 パラ馬術・城寿文(じょう・としふみ)選手です。1974年生まれ、福岡県出身の49歳。高校生のときに馬術部に入部。卒業後は、乗馬用の馬に蹄鉄を打つ装蹄師として活動しながら、馬術の競技会に出場していましたが、2019年、事故に遭い両脚を骨折。右脚に感覚障がいと機能障がいが残りました。2020年からパラ馬術に挑戦。この年、全日本(ぜんにほん)パラ馬術選手権に出場して、最も障がいが軽い「グレードⅤ」のクラスで優勝しました。今年行われるパリパラリンピック出場を目指しています。脚に障がいが残ったあと、それをどうカバーして馬術を続けたのか、東京パラリンピックを観て受けた刺激、障がいをカバーするためルール内で許されている馬具の改良について、馬とどうコミュニケーションを取るのか、演技の際に特に気をつけていること、リズムの合わせ方、パリに向けての抱負など、城さんにいろいろお話を伺いました。 See omnystudio.com/listener https://omnystudio.com/listener for privacy information.


「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、車いすマラソン・喜納翼(きな・つばさ)選手です。 1990年生まれ、沖縄県うるま市出身の33歳。中学・高校生時代はバスケットボール選手として活躍。沖縄県代表にも選ばれました。大学1年生のときトレーニング中の事故により車いす生活となり、2013年、車いすで陸上競技を始めます。2016年、大分国際車いすマラソンで初マラソン・初優勝の快挙を成し遂げ、2019年の大分国際では、1時間35分50秒の日本記録をマークしました。東京マラソンは、2020年・2022年と2度優勝。2021年の東京パラリンピックでは7位に入賞。今年行われるパリパラリンピックに2大会連続出場を目指しています。車いす陸上との出逢い、初マラソンとなった2016年・大分国際車いすマラソンでの優勝劇について、海外マラソン出場で得たもの、目標でありライバルでもあるレジェンド・土田和歌子選手の存在について、初の大舞台となった東京パラリンピックでの激闘、地元・うるま市の子どもたちからもらった声援について、パリへの抱負など、喜納選手にいろいろお話を伺いました。 See omnystudio.com/listener https://omnystudio.com/listener for privacy information.


「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パラアーリェリー・大江佑弥(おおえ・ゆうや)選手です。 1988年生まれ、岡山県倉敷市出身の35歳。高校時代は倉敷商業で、硬式野球部のレギュラーとして活躍しました。20代のとき3度にわたり脳出血を発症。右半身まひの障がいが残りました。退院後、口で弓を引くスタイルでパラアーチェリーを始め、国内外の大会で活躍。去年の11月にタイのバンコクで行われた国際大会で、日本に史上初めて開催国枠以外でパラリンピック出場枠をもたらし、世界ランキングもトップ10入りを果たしました。現在は倉敷市の職員として勤務しながら、今年行われるパリパラリンピック出場を目指しています。アーチェリーとの出逢い、左手ではなく口で弓を引くスタイルにした理由、初めて出場した米ラスベガスでの国際大会と初出場・初優勝の快挙で得た自信、倉敷市役所に転職した理由と市のバックアップについて、日本の出場枠を獲得したバンコクの国際大会での活躍、メンタルの鍛え方、パリへの抱負など大江選手にいろいろお話を伺いました。 See omnystudio.com/listener https://omnystudio.com/listener for privacy information.


「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パラ陸上・車いすの鈴木朋樹(すずき・ともき)選手です。 1994年、千葉県館山市生まれの29歳。トヨタ自動車所属。生後8ヵ月のときに遭った事故で脊髄を損傷したため、幼い頃から車いす生活になりました。小学5年生から本格的に車いすで陸上競技を始め、トラック競技と車いすマラソンの二刀流に挑戦。2019年、車いすマラソンの世界選手権で銅メダルを獲得します。2021年、東京パラリンピックに出場。4×100mユニバーサルリレーでアンカーを務め、銅メダルに輝きました。今年開催されるパリパラリンピックで、2大会連続メダルを目指します。陸上との出逢い、影響を受けたパラリンピアン・花岡伸和さんに教わったこと、トラック競技に加えて車いすマラソンも始めたきっかけと、そちらに重点を移した理由、東京パラリンピックで得た経験とユニバーサルリレーでのメダル獲得について、パリへの抱負など、鈴木選手にいろいろお話を伺いました。 See omnystudio.com/listener https://omnystudio.com/listener for privacy information.


「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、窪田幸太(くぼた・こうた)選手です。 2000年、千葉市生まれの23歳。生まれつき左腕をほとんど動かせず、右腕だけを使って泳ぐパラスイマーです。0歳からスイミングスクールに通い、小学5年生から本格的に競泳を始めました。その後、日本体育大学に進学。水中に潜ってキックする「バサロキック」をマスターしてスピードアップに取り組み、2021年、東京パラリンピックに出場。去年の8月に行われたパラ水泳世界選手権・100m背泳ぎで銀メダルに輝き、パリパラリンピックの日本の出場枠を獲得しました。今年はパリ大会出場と、初のメダルを目指します。水泳を本格的に始めたきっかけ、日体大で出逢い、現在専属コーチを務める鷲尾拓実コーチから学んだこと、背泳ぎをメインにした理由、東京パラリンピックで得た貴重な経験について、去年の世界選手権銀メダルで見えた課題、パリへの抱負など、窪田選手にいろいろお話を伺いました。 See omnystudio.com/listener https://omnystudio.com/listener for privacy information.


「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、ゴールボール女子日本代表のキャプテン・高橋利恵子(たかはし・りえこ)選手です。 1998年、広島市生まれの25歳。先天性の目の病気により、幼い頃から視覚に障がいを持っています。高校から筑波大学附属視覚特別支援学校に進学。2年生だった2014年、ゴールボールに出逢い、筑波大学進学後の2018年、世界選手権で初の日本代表入り。2019年のアジア・パシフィック選手権ではセンターでフル出場。優勝に貢献しました。2021年には東京パラリンピックに出場して、銅メダルを獲得します。2023年から女子日本代表のキャプテンに就任。11月のアジア・パシフィック選手権でチームを準優勝に導き、今年行われるパリパラリンピックへの出場を決めました。ゴールボールとの出逢い、初めての国際試合、長年日本代表のセンターを担っていた先輩・浦田理恵選手から受けた助言、東京パラリンピックで初戦大敗のあとどう立て直していったのか、銅メダルを懸けた3位決定戦と初メダルの心境、代表キャプテンになって変わったこと、パリ行きを決めたアジア・パシフィック選手権について、パリへの抱負など、高橋選手にいろいろお話を伺いました。 See omnystudio.com/listener https://omnystudio.com/listener for privacy information.


「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、 パラアイスホッケー日本代表キャプテン・熊谷昌治(くまがい・まさはる)選手です。 1975年、長野県出身の48歳。2008年、事故で右足のヒザから下を失います。その後、そりに乗ってプレーするパラアイスホッケーと出逢い、2010年から本格的に競技に取り組み、始めて3ヵ月で日本代表入り。2018年、平昌(ピョンチャン)パラリンピックにも出場しました。今年4月から日本代表のキャプテンに就任。10月の世界選手権では日本のBプール全勝優勝とAプール昇格に貢献しました。現在は地元のクラブチーム「長野サンダーバーズ」で若手の育成にも力を入れる一方、2026年、ミラノ・コルティナダンペッツォで開催される冬季パラリンピック出場を目指しています。 意外な縁で取り組むことになったパラアイスホッケーとの出逢い、競技経験が数ヵ月の状態で日本代表になったときの努力、平昌パラリンピックで経験した完全アウエーの韓国戦について、元カナダ代表のブラッドリー・ボーデン氏を指導者に迎えて日本代表のホッケーはどう変わったのか? その成果が出た世界選手権Bプールでの全勝劇とこれからについて、熊谷選手にいろいろお話を伺いました。 See omnystudio.com/listener https://omnystudio.com/listener for privacy information.


「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、身体障がい者野球・小寺伸吾(こでら・しんご)選手です。 1989年、兵庫県出身の34歳。小学生のときにソフトボールを始め、高校・大学では硬式野球部でプレーしました。卒業後の2013年、事故で左手首から先を切断。接合手術を受け成功しましたが、左手の機能はまだ完全に回復していません。2015年、社会復帰と同時に、地元・兵庫に拠点を置く身体障がい者野球の強豪・神戸コスモスに入団。すぐに頭角を現し、走・攻・守3拍子揃ったプレーで日本代表にも選ばれました。今年9月に行われた「第5回 世界身体障がい者野球大会」で日本の世界一に貢献。この大会で首位打者となり「長嶋茂雄賞」を受賞しました。身体障がい者野球との出逢い、通常の野球とルール面での違い、左手が思うように動かない状態でどうやって打球を捕球するのか、日本代表での戦いと、海外勢から受けた刺激、みごと連覇を飾った「第5回 世界身体障がい者野球大会」でのエピソードと活躍できた理由、今後の夢など、小寺選手にいろいろお話を伺いました。 See omnystudio.com/listener https://omnystudio.com/listener for privacy information.


「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パラ空手・今井俊浩(いまい・としひろ)選手です。 1973年、群馬県出身の50歳。小学3年生から空手を始め、社会人になっても続けていましたが、徐々に視野が狭くなる網膜色素変性症のため、42歳からパラ空手の全日本選手権に出場を始め、7度優勝を飾っています(「形」の部)。今年10月、世界パラ空手道選手権・視覚障がいの部に初めて出場し優勝。50歳で金メダルの快挙を達成しました。現在は地元の群馬県前橋市で家具メーカーを経営しながら、自身の道場で後進の育成も行っています。パラ空手転向を決意したきっかけ、長年しのぎを削るライバル・大庭康資選手から受ける刺激について、初出場初優勝の快挙を達成した世界選手権について、道場で後進の選手たちに教えている心得、今後の夢など、今井選手にいろいろお話を伺いました。 See omnystudio.com/listener https://omnystudio.com/listener for privacy information.


「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パラ・パワーリフティング男子65キロ級・奥山一輝(おくやま・かずき)選手です。 1997年、千葉県船橋市出身の26歳。先天性の二分脊椎症のため、幼い頃から車いす生活を送っています。小学校6年生から車いすテニスを始め、競技を続けていましたが、高校2年生のときにパラ・パワーリフティングと出会い、2015年の全日本選手権で優勝。2017年の世界選手権59キロ級ジュニアの部で銅メダルを獲得しました。その後も次々と日本記録を塗り替えるなど活躍。順天堂大学進学後、2年生からパラ・パワーリフティングに専念しています。現在は社会人アスリートとして、男子65キロ級で来年のパリパラリンピック出場を狙います。パラ・パワーリフティングに出逢ったきっかけ、車いすテニスとの二刀流をやめてパラ・パワーリフティング一本に絞った理由、2020年10月の「チャレンジカップ京都」で日本新記録を3連発した背景について、東京パラリンピック出場を惜しくも逃したあと、パリに向けてどう気持ちを切り替えていったのか、これから目標にしている大会など、奥山選手にいろいろお話を伺いました。 See omnystudio.com/listener https://omnystudio.com/listener for privacy information.


「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、車いすテニス・荒井大輔(あらい・だいすけ)選手です。 1988年、東京都葛飾区出身の35歳。生まれつき右足に障がいを持ち、2歳のときから義足で生活を送っています。中学時代に義足で軟式テニスを始め、就職してから車いすテニスに出逢い、27歳で本格的に競技を始めました。2017年からプロのテニスプレーヤーとして国際大会でも活躍。2019年には6つの大会でシングルス優勝を果たして世界のトッププレーヤーとなり、2021年、東京パラリンピックに出場しました。今年は4大大会に初めて出場。来年のパリパラリンピックで初のメダルを狙います。義足でテニスを始めた理由、27歳のときに車いすテニスに出逢ったきっかけ、それまで勤めていた会社を辞めてプロテニスプレーヤーになった理由、現コーチ・穂積善行さんの指導を受けるようになって変わったところ、東京パラリンピック前日に父が急逝、そのショックをどう乗り越え試合に臨んだのか、初の4大大会となった全豪オープン・ダブルス準決勝での戦いと、全仏オープン・シングルスで戦った小田凱人選手との戦いなど、荒井選手にいろいろお話を伺いました。 See omnystudio.com/listener https://omnystudio.com/listener for privacy information.


「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パラスポーツクラブの運営や、パラスポーツ振興を目的として活動する、一般社団法人・Knockü(のっきゅー)の代表理事・岡田美優(おかだ・みゆ)さんです。 神奈川県出身。福島大学を経て、現在、早稲田大学大学院・スポーツ科学研究科の博士課程に在学中です。中学校から大学までハンドボールを続け、全国大会にも出場しました。2022年にKnocküを設立し、代表理事に就任。障がいのあるなしに関係なく参加できるパラスポーツのイベントやコミュニティを運営したり、パラスポーツを通じた教育研修プログラムを実施しています。また、今月行われた「日本車椅子ハンドボール競技大会」では、Knocküが運営するスポーツクラブ「Knockü S.C.」が初参加で初優勝を成し遂げました。パラスポーツと出逢ったきっかけ、パラスポーツが一般にも身近な存在になっているドイツに留学して学んだこと、在学中にKnocküを設立した理由、立ち上げたときの苦労とメンバー集めについて、スポーツクラブ「Knockü S.C.」での活動内容と、監督的な立場で参加した「日本車椅子ハンドボール競技大会」での優勝について、スポーツ庁「障がい者スポーツ振興ワーキンググループ」の委員としての活動、今後の夢など、日本におけるパラスポーツ振興について岡田さんにいろいろお話を伺いました。 See omnystudio.com/listener https://omnystudio.com/listener for privacy information.


「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パラアルペンスキー座位のレジェンド・チェアスキーヤーの森井大輝(もりい・たいき)選手です。 1980年、東京都あきる野市生まれの43歳。トヨタ自動車所属。4歳からスキーを始めますが、高校2年のときバイク事故で脊椎を損傷。その後、長野パラリンピックを観てチェアスキーを始め、冬季パラリンピックには、2002年のソルトレークシティ大会から6大会連続で出場しています。2006年、トリノ大会での銀メダルを皮切りに5大会連続でメダルを獲得。通算獲得メダルは、銀メダル4個・銅メダル3個。3年後のミラノ・コルティナダンペッツォ大会では、悲願の金メダルを狙います。初メダルとなったトリノでの銀メダル、負傷しながら勝ち取ったソチでの銀メダルなど各メダルの思い出、まだ記憶に新しい平昌・北京での激闘、ミリ単位で調整するチェアスキーへのこだわり、3年後のパラリンピックに懸ける思いなど、森井選手にいろいろお話を伺いました。 See omnystudio.com/listener https://omnystudio.com/listener for privacy information.


「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、 ブラインドサッカー界のレジェンド・黒田智成(くろだ・ともなり)選手です。 1978年、熊本県八代市生まれの45歳。小児がんの影響により生後3ヵ月で左目を失い、小学1年生のときに全盲になりました。筑波大学大学院在学中にブラインドサッカーと出逢い、2002年に結成された日本代表の初代メンバーに。スピード感溢れる、斬れ味鋭いドリブルを武器に、20年以上にわたって代表のエースストライカーとして活躍。2021年に行われた東京パラリンピックにも出場、チームを5位に導きました。来年行われるパリパラリンピックへの連続出場と、メダル獲得を目指しています。 初出場となった東京パラリンピックでの激闘について、予選リーグ初戦・フランス戦での快勝劇、5位の座を懸けて戦ったイラン戦の裏側、いよいよ来年に迫ったパリパラリンピックへの抱負など、日本のブラインドサッカーの歴史とともに歩んできた黒田選手にいろいろお話を伺いました。 See omnystudio.com/listener https://omnystudio.com/listener for privacy information.


「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パラ卓球・立位の立石アルファ裕一(たていし・アルファ・ひろかず)選手です。 1983年、福岡市出身の39歳。先天性二分脊椎症のため、つま先に力が入りません。小学4年生から卓球を始め、競技のときは両脚に装具を着けて立ってプレー。元卓球選手の弟・立石イオタ良二さんをコーチに付けて国際大会でも活躍し、今年8月に行われたサウジアラビアパラオープンでは、立位の男子シングルス・男子ダブルスで優勝。来年のパリパラリンピック出場を目指しています。また2021年の東京パラリンピックでは解説者を務め、パラ卓球の普及にも力を入れています。初めて代表に選ばれたときに感じたこと、初の国際試合で自分より障がいが重い選手がプレーするのを観て衝撃を受けた話、弟のイオタ良二さんをコーチに迎えた理由と、そのお陰で伸びた部分、コロナ禍の間に決断した杖をついてプレーするスタイルに変えた理由、東京パラリンピック中継の解説役を引き受けた理由、いま力を入れていることなど、立石選手にいろいろお話を伺いました。 See omnystudio.com/listener https://omnystudio.com/listener for privacy information.


「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、ロービジョンフットサル日本代表のキャプテン・岡晃貴(おか・こうき)選手です。 1985年、埼玉県鴻巣市出身の38歳。小学3年生のときにサッカーを始め、大学までサッカー部で活動。卒業後は小学校の教員や会社勤めをしながら趣味でフットサルを楽しんでいましたが、30歳を過ぎてから目に異常を感じ、視野が徐々に狭くなっていく「網膜色素変性症」と診断されました。病気をきっかけに、2018年から弱視の選手がプレーする競技「ロービジョンフットサル」を始め、日本代表のキャプテンとしてチームを牽引。また今年「株式会社SELECT」を設立。企業経営者としても活躍中です。 ロービジョンフットサルとの出逢い、ロービジョンフットサルチーム「クラブ・バレール・トウキョウ」を結成した理由、2021年・2022年と日本選手権を連覇、2年連続MVPに輝いた要因、初めて日本代表に選ばれたときの心境、代表キャプテンとして心掛けていること、惜しくも4位に終わった今年8月の世界選手権での激闘とつかんだ手応え、経営者との“二刀流”をしている理由など、岡選手にいろいろお話を伺いました。 See omnystudio.com/listener https://omnystudio.com/listener for privacy information.


「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パラ陸上・視覚障がいクラスの福永凌太(ふくなが・りょうた)選手です。 1998年、滋賀県生まれの25歳。小学生のとき、目の病気「錐体(すいたい)ジストロフィー」により、視力が低下。小学5年生から陸上競技を始め、その後、中京大学に進学。十種競技をメインに健常者の大会に出場していましたが、卒業後、パラ陸上に転向。視覚障がいクラス・男子200m、400m、走り幅跳び、円盤投げの4種目で日本記録をマークしました。現在は中京大学で職員と陸上部のコーチをしながら競技を続け、今年7月の世界パラ陸上競技選手権で、日本代表に初めて選出。400mで金メダル、走り幅跳びで銀メダルを獲得し、来年のパリパラリンピックでもメダルを目指します。パラ陸上との出逢い、十種競技の経験がパラ陸上でどう活かされたか、今年7月の世界選手権・400mで金メダルを獲った一方、メインの走り幅跳びで銀メダルに終わった悔しさについて、パリパラリンピックへの抱負など、いろいろお話を伺いました。 See omnystudio.com/listener https://omnystudio.com/listener for privacy information.


「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、ゴールボール男子日本代表の指揮を執る工藤力也(くどう・りきや)ヘッドコーチです。 1981年、福岡県生まれの42歳。19歳のとき、目の病気・レーベル病を発症して視力が低下。ゴールボールを始め、日本代表としてプレーしました。2017年3月に代表を引退し、男子日本代表の強化指導スタッフとしての活動をスタート。2022年4月から、男子日本代表のヘッドコーチに就任。今年8月、イギリスのバーミンガムで行われた「IBSAワールドゲームズ」で、男子日本代表を世界大会初優勝に導き、パリパラリンピック出場権を獲得しました。来年はパリでメダルを目指します。 ゴールボールとの出逢い、日本代表を退いて指導者の道を選んだ理由、選手を指導する際にいつも心掛けていること、男子代表初の大舞台となった東京パラリンピックでの激闘について、自力でパリパラリンピックへの切符をつかみ取ったIBSAワールドゲームズ優勝の話、パリへの抱負など、工藤ヘッドコーチにたっぷりとお話を伺いました。 See omnystudio.com/listener https://omnystudio.com/listener for privacy information.


「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パラ陸上・走り幅跳びの芦田創(あしだ・はじむ)選手です。1993年、兵庫県生まれの29歳。トヨタ自動車所属。幼い頃、腫瘍の手術を繰り返した影響で右腕がうまく動かず、左右の腕の長さが違います。高校から本格的に陸上競技を始め、早稲田大学4年生のときメイン種目を短距離から走り幅跳びに変更。2016年のリオパラリンピックでは、男子4×100mリレーのメンバーに選ばれ銅メダルを獲得しました。2017年、世界選手権の三段跳びと4×100mリレー、2018年、アジアパラ競技大会の走り幅跳びで、それぞれ銅メダルを獲得。来年のパリパラリンピックで、2大会ぶりのメダルを目指します。陸上を始めたきっかけ、早稲田大学時代、4年から体育会の競走部に入った理由、メイン種目を走り幅跳びに変えた経緯、リレーで銅メダルを獲得したリオでは、走り幅跳びでなぜ結果を出せなかったのか、2017年にシドニーに移住し拠点を移した理由、東京パラリンピック出場を逃したあと、地元・大阪に戻り取り戻したもの、パリに向けての抱負など、芦田選手にたっぷりとお話を伺いました。 See omnystudio.com/listener https://omnystudio.com/listener for privacy information.


「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、岐阜インターナショナルテニスクラブのコーチで、車いすテニス・小田凱人(おだ・ときと)選手の専属コーチも務める熊田浩也(くまだ・ひろや)さんです。 1985年、愛知県生まれの38歳。U16ワールドユース日本代表などジュニアの国際大会で活躍後、指導者の道を歩み、現在、岐阜インターナショナルテニスクラブでジュニアの選手を多数育成しています。また、今年6月に史上最年少で全仏オープンを制した車いすテニス・小田凱人選手を中学2年生のときから指導。去年の4月から専属コーチを務め、全仏オープン、ウインブルドン制覇にも貢献しました。来年はパリパラリンピックで金メダルを目指します。小田選手との逢い、まったく初めてだった車いすテニスプレーヤーの指導にあたって心掛けたこと、コロナ禍での指導について、小田選手の専属コーチになった経緯と、全仏オープン・ウインブルドンでの戦いを間近で観ていて感じたこと、全仏・ウインブルドン制覇後に小田選手と交わした会話、パリパラリンピックに向けて今後のスケジュールと抱負など、熊田コーチにたっぷりとお話を伺いました。 See omnystudio.com/listener https://omnystudio.com/listener for privacy information.


「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パラアルペンスキー・髙橋幸平(たかはし・こうへい)選手です。 2000年、岩手県生まれの22歳。先天性の脳性まひのため、右半身に機能障がいを抱えています。3歳でスキーを始め、やがてパラアルペンスキーの大会にも出場。2017年、ジャパンパラアルペンスキー競技大会の回転種目で優勝し、2018年、高校2年生のときに平昌パラリンピックに出場。日本体育大学在学中の2022年には、北京大会にも連続出場を果たし、3年後のミラノ・コルティナダンペッツォ大会では初のメダルを目指します。スキーとの出逢い、左手一本で滑る際に気をつけていること、平昌で初めて体験したパラリンピックの舞台について、平昌で結果が思わしくなかったレースの後、気合を入れるために周囲を驚かせたある行動について、北京パラリンピック直前に襲ったアクシデントと、それをどう乗り越えて出場を果たしたのか、3年後のパラリンピックへの抱負など、髙橋選手にたっぷりとお話を伺いました。 See omnystudio.com/listener https://omnystudio.com/listener for privacy information.


「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、プロ車いすテニスプレーヤー・眞田卓(さなだ・たかし)選手です。1985年、栃木県生まれの38歳。19歳のときにバイク事故で、右ヒザの関節から下を失いました。リハビリ中に車いすテニスと出逢い、2011年から本格的に競技を開始。パラリンピックには2012年、ロンドン大会で初出場を果たします。以降、リオ・東京と3大会連続で出場。2018年、世界国別選手権でシングルス、ダブルスともに全勝し、日本男子の優勝に貢献しました。今年1月、全豪オープンに出場し、初の4大大会を経験。来年のパリパラリンピックで初のメダルを目指します。車いすテニスとの出逢い、本格的に競技を始めてわずか1年でロンドンパラリンピックに出場できた原動力、ロンドン後に肩の手術に踏み切った理由、リオパラリンピックのダブルスで国枝慎吾選手のペアと銅メダルを懸けて戦った日本人対決について、引退をやめて次の東京を目指した理由、目標でもあった国枝選手とのシングルスでの戦いと、東京パラリンピックのダブルスで共に戦ったときの話、パリに向けての決意など、眞田選手にたっぷりとお話を伺いました。 See omnystudio.com/listener https://omnystudio.com/listener for privacy information.


「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パラ陸上・砲丸投げ、齋藤由希子(さいとう・ゆきこ)選手です。 1993年、宮城県気仙沼市出身の30歳。左腕は生まれつきヒジから先がありません。中学1年生から砲丸投げを始め、2011年、高校生のとき、東日本大震災の津波で実家が流されましたが競技を続け、2015年、仙台大学在学中に12m47をマーク。当時の世界記録を樹立しました。パラリンピック出場を目指し一時やり投げに転向しますが、再び砲丸投げに復帰。結婚後は福島に拠点を移し、競技と育児を両立させながら今年7月のパラ陸上・世界選手権で銅メダルを獲得。パリパラリンピックで金メダルを目指します。砲丸投げとの出逢い、東日本大震災で被災後も競技を続けた理由と原動力になったもの、やり投げに転向した背景と、再び砲丸投げに復帰した理由、競技と育児の両立と、コーチでもある夫の支え、産休明けにすぐ復帰できた理由、世界選手権銅メダルとパリへ向けての抱負など、齋藤選手にいろいろお話を伺いました。 See omnystudio.com/listener https://omnystudio.com/listener for privacy information.


「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人やパラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、帝京大学准教授で、日本ろう者テニス協会専属トレーナーの佐野村学さんです。1969年、山口県生まれの53歳。日本体育大学卒業後、早稲田大学大学院でスポーツ科学の博士号を取得。帝京大学・医療技術学部スポーツ医療学科の准教授として教べんを取り、アスレティックトレーナー、トレーニング指導者、健康運動指導士として、コンディショニングや筋力トレーニングなどの指導を行っています。そのかたわら、2015年から日本ろう者テニス協会の専属トレーナーに就任。2025年に開催される東京デフリンピックに向けて、デフテニス日本代表の強化合宿や国際試合へも帯同し、今年6月、東京都から「東京パラスポーツスタッフ」の認定も受けました。デフテニスとの出逢い、専属トレーナーの仕事、デフの選手と接する際に心掛けていること、ケガをおして出場しようとしている選手にトレーナーとしてどう対処するか、再来年の東京デフリンピックでの目標、共生社会実現に必要なことなど、佐野村さんにいろいろお話を伺いました。 See omnystudio.com/listener https://omnystudio.com/listener for privacy information.


「ニッポンチャレンジドアスリート」は競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パラ卓球・中村亮太(なかむら・りょうた)選手です。 2002年、奈良県生まれの20歳。幼い頃にかかった病気の後遺症で足に障がいが残りました。中学1年のときに卓球を始め、最初は立ってプレーしていましたが、3年のときに股関節を痛め、以後は車いすでプレー。高校1年のときに「全国障がい者スポーツ大会」の男子シングルスで初優勝を飾り、2019年、日本代表に選ばれます。2021年11月、「国際クラス別パラ卓球選手権」でシングルス準優勝、ダブルスで初優勝を飾り、来年のパリパラリンピック出場とメダルを目指しています。 パラ卓球との出逢い、車いすクラスに移ってまで卓球を続けた理由、初めての世界大会出場で得たもの、パリに向けての意気込み、変則卓球台で東京五輪メダリストの水谷隼選手と対戦した話など、中村選手にいろいろお話を伺いました。 See omnystudio.com/listener https://omnystudio.com/listener for privacy information.